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古城ロマン

戦後永らく顧みられることのなかったポーランドの古城や貴族館もここ十数年の間に大きく様変わりしてきました。かつて、王侯貴族たちの居所であった城館や宮殿が修復や改装を施され、次々とオリジナリティ溢れるホテルへと姿を変えているのです。もちろん、豪華な内装や調度品、昔をしのぶたたずまいなどはそのままに保たれており、私たちもつかの間、往時の貴族たちの生活を味わえます。

大規模チェーンの経営するようなホテルとは違い、こうした宿泊施設ではかつての館の主の心意気を受け継いだ、本物のおもてなしの精神を心ゆくまで堪能することができます。ポモージェ地方一帯、クラクフ近郊のパシュクフカ(Paszkówka)、バロックの香りただようウォムニツァ(Łomnica)、あるいはヨーロッパ有数の貴族館と庭園の宝庫であるイェレニョグルスカ谷(Dolina Jeleniogórska)などを訪れてみれば十分そのことがお分かりいただけるでしょう。

中世騎士物語や歴史小説に憧れて、という方におすすめなのは、「十字軍の足跡めぐり」です。マルボルク(Malbork)を筆頭に、ポーランド北部にはクフィエヂン(Kwidzyn)、シフィエチェ(Świecie)、ゴルプ・ドブジン(Golub–Dobrzyń)などゴシック様式の巨大な城砦の姿を残す町が多数見られます。

クラクフのヴァヴェル城はもうご覧になりましたか? そのルネサンス様式にすっかり魅せられてしまったなら、ヴァヴェル城の弟分にあたるお城で、かつてピアスト家のシロンスクにおける居所でもあったブジェク(Brzeg)も是非訪れてみて下さい。

王城や貴族の館には、その主にまつわる代々語り継がれている伝説があります。ドルノシロンスク最大の城砦であるクションシュ(Książ)では、美しい王女デイジーと真珠の首飾りにまつわる伝説があり、またヴァレヴィツェ(Walewice)の領主館は美貌の女主ヴァレフスカがナポレオンとの間にできた息子を生んだ場所として知られています。ヘンチヌィ(Chęciny)の城では馬の亡霊が出ると言われ、ニェヂツァ(Niedzica)の城では戦後インカの文字であるキープが発見されたことから、インカの王女が夜な夜な現れるのだ、という噂話も飛び交っています。

ヴィラフヌ(Wilanów)、プシュチナ(Pszczyna)、クルニク(Kórnik)、コズウゥフカ(Kozłówka)、ワィンツト(Łańcut)の5箇所は、ポーランド国内に現存する城館の中でも当時の全くオリジナルなままの内装を今に残す数少ない貴重な建物です。

歴代ポーランド王の居城には騎士文化が栄えました。今日でもその時代を再現した衣装をまとっての舞踏会や、騎士の武勇を競うトーナメントの対戦が催され、往時を偲ばせます。また古城や館を利用しての文化イベントも多く行われています。ラジヴィウ公の狩猟の館アントニン(Antonin)ではショパン・フェスティバルが開催され、ロイス侯の居所であったスタニシュフ(Staniszów)のオランジュリーでは新鋭アーティストのための作品展示ギャラリーがオープンしました。

クシシュトプル城
ポーランド南西部シフィエントクシスキェ県ウヤズドにあるクシシュトプル城は17世紀の城跡。ここは17世紀を生きたある貴族の壮大な夢の舞台となるはずの場所でした。
ゴシックの古城と歴史のゴルブ=ドブジンを歩く
ワルシャワとグダンスクの中間点にあるトルンから東へバスで1時間余りのところに古城の街ゴルブ=ドブジンはあります。ここは、昔はロシアとプロイセン国境の異なるふたつの町だった歴史があります。町の中心を流れる清流ドルヴェンツァ川を境にプロイセン側がゴルプ、ロシア側がドブジンでした。
マルボルクのドイツ騎士団城
マルボルクは中世の要塞としてはヨーロッパ最大の城砦です。建設は13世紀、ドイツ騎士修道会がここを本拠地とするために始められました。その後、広大な修道会国家の首都となり、さらに大幅な増築を経て現在の姿へと至りました。
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