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ゴウフフ城美術館 ― アートを愛でた公爵令嬢の夢

ゴ ウフフ城-16世紀半ばにブジェスコ・クヤフスキェ県の知事ラファウ・レシチンスキによって築かれたこの城は、もともとは複層構造の城塞であり、上から見 ると4つの角に塔を持つ四角形でしたが、後年になって増改築工事が行われ、1619年にはルネサンス・マニエリスム様式の瀟洒な館となったのです。 1695年にレシチンスキ家がこの館を手放すことを決め、その後150年間の間につぎつぎと所有者が変わり、美しい姿を誇ったゴウグフ城は長い間十分な手 入れも行われずに荒れ放題で幽霊屋敷のようになっていました。

1856年になって、この城を貴族ティトゥス・ジャウィンスキが新婚の息子夫婦のために購入 しました。これを機に全面改修工事が行われたゴウフフ城はかつての優美な姿を取り戻したのです。 ジャウィンスキ家に嫁いできたのは名門貴族の令嬢イザベラ・チャルトリスカ(写真)でした。

彼女はパリのランベール館(Hôtel Lambert)で亡命ポーランド知識人たちの擁護者となっていたアダ ム・チャルトリスキ公の娘で、物心ついたときから洗練されたパリの芸術に触れて育ち、美術に対する深い造詣を持つ美貌の貴婦人であったといわれています。 大都会パリから田園風景の広がるヴィエルコポルスカにやってきたイザベラは、地元貴族のつきあいや風習などになじむことができず、次第に周囲から孤立して行きまし た。さらに政略結婚であった夫ヤンとの間も冷えて行き、イザベラは孤独の中で少女時代から夢中になっていた美術品に心の癒しを求めまし た。そして美術コレクションをゴウグフ城の中につくることに情熱を注いだのでした。

そんな折、ヴィエルコポルスカ地方では一月蜂起が起きます。結局鎮圧されたこの蜂起にヤン・ジャウィンスキ(左)が関わりをも ち、反政府運動の資金を相当提供していたことがプロイセン当局に発覚したのです。彼は死刑の判決を受け、5年間パリへ亡命し身を隠しました。

プロイセンに よるゴウフフ城の接収を免れるために、イザベラは城の名義を自分に変更します。そして女らしい感性がたっぷりと盛り込まれた大改修工事に着手。パリのノー トルダムやアミアンの大聖堂の修復を手掛けたフランスの建築家ウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュクやジグムント・ゴルゴレフスキのスケッチなどをベースにし て10年後の1885年にやっと完了しました。
ゴウフフ城に集められた膨大な美術品の数々は、第二次世界大戦前には個人コレクションとしては世界でも有数 の規模といわれていました。1939年の時点では当時の100万ドルの価値がありましたが、第2次世界大戦によってコレクションはあちらこちらに流出してしま い、現在は古代ギリシャの壺やアンティーク家具調度品を中心とした美術館として公開されています。

城の周りに広がる126ヘクタールの広大な英国庭園で、ここにイザベラの墓碑があります。この城の美しさからドラマのロケが行われたり、 優雅な雰囲気をたっぷりと味わえるコンサートなども開催されています。美術品への愛に生きたイザベラ・ジャウィンスカという女性に思いを馳せながら、庭園 を散策してみるのもいいかもしれません。

ゴウフフ城美術館
所在地: Działyńskich 1, 63-322 Gołuchów

開館時間: 火曜日~日曜日 10時~16時
アクセス: ポズナンのバスターミナル.からゴウフフまで2時間15分料金
9:30から1時間から1時間半に1便程度

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